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その9(能):懐深き、謡曲の調べ

私の記憶が正しければ、「私の能初体験」は最初にして最後のお見合いの席だったと思う。母が、気を利かせて平安神宮の薪能のチケットを2枚手に入れてくれたのだ。見合いと薪能。私としては、一粒で二度美味しいグリコ体験かと思っていたのだが。。。そのお相手の方、能の席でお舟をこいで寝てしまった。。。まぁ、確かに、私も、辛うじて起きていた程度だったけど。。。

そんな、お世辞にも楽しかったといえない思い出の中に、能というものを閉じ込めておくのも癪だなぁーという単純な気持ちで、もう一度、能の世界に触れてみることにした。でも、きっとただ見ても、よくわからない。ならば、習っちゃおうということで、「重要無形文化財総合指定認定(要は、人間国宝)」の肩書きを持つ先生にお稽古をつけていただくことにした。

能を観たことのない方の為に。能をいまどきの表現にするならば、「楽団と合唱隊が舞台上にいる和製オペラ」という感じだろうか(やっている人には違和感あるかもしれないが、ご容赦を)。

一般的に、能の習い事は「謡曲」「仕舞」という2つがある。「謡曲」はうたになったセリフ(これを謡いという)。「仕舞」は各作品の主要な舞。私は現在、この2つを習っているが、今回は謡曲のお稽古にスポットを当てて紹介しよう。

お稽古では、まずお手本として、先生が3〜5分ぐらいの長さの謡を謡ってくださる。それを生徒はテープにとっておき、自宅で独習をする。そして、次週、先生に自分の謡いを聴いて貰い、チェックを受ける。

自宅での独習は、先程のテープと謡本を使って行なう。

その謡本は、どんなものかというと。。。楽譜というより、芝居で言う台本を想像してほしい。シテといわれる主役、ワキといわれる準主役、その他ツレなどという登場人物ごとに、セリフとなる「謡」が記されている。その各謡のセリフ横に、西洋音楽で言う「アレグロ」「シャープ」というような「強弱」「半音上げ下げ」といった注意書きや記号が書いてあるのだ。「うた」というと五線譜しか想像できない今時の私たちにとっては、違和感があるかもしれないけれど、台本と思えばすんなり入れるだろう。

基本的な節回しは謡本に記載されているのだけれど、それだけでは微妙なニュアンスがわからない。ここで、先生のテープが重要になってくるのだ。強弱といっても、どれぐらい強いものなのか、音を上げるといっても、どれぐらい上げるのか、それは口伝でしかわからない。

日本のお稽古事には多いことだが、先生というのは、お稽古の場であまり細かいことを教えてくれない。「習うより慣れろ」ということかな。(「マニュアル」と「口伝」、「習うこと」と「慣れること」。今と昔に見られるこの二つの教育法については別の機会に書いてみたい)。

謡曲を習ってみて驚きなのは、まずその複雑な音!一つ一つの音に、今の日本語にはない発音がたくさんあるのだ。例えていえば、フランス語をやっている感じ。音階も西洋音楽の五線譜の枠では表現できない音がたくさんある。

ここで、ふっと疑問が。。。最初の「和製オペラ」にしろ、「フランス語」にしろ、「西洋音楽」にしろ、簡単に説明しようとする時、引き合いにだす言葉は、なぜ外国、それも欧米のものなのだろうか。。。これも、また、別の機会に考えてみたい。

さて、こんな異次元のごとき音を操る先生の謡い。「人間国宝」と呼ばれる方だけあって、間近で聴くと本当にうっとりしてしまう。この声をどう表現すればいいのだろう。。。お釈迦様の腕の中で眠りに落ちるときの感覚だろうか(そんな体験ないけれど。。。)。懐がとっても深くって、安心して引き込まれていく感覚なのである。

そうそう。いま、お釈迦様といったが、謡曲の節回しはどこかお経に似ている。

「能の基礎を作ったといわれる世阿弥は、美男子でね。昔、奥さんがもてなかったお坊さんの寵愛を受けていたのね。彼は、そこでずっとお経を聴いて育ったの。だから、能の謡はお経に近い。能は仏教芸能とも言われてね、昔は、仏の道を、謡を通して教えていたともいわれるのよ。」

と、先生。でも、お釈迦様のごとき懐の深さを持つ声とはうって変わって、お稽古は厳しい。。。

「それ、音、違うでしょっ!」

と、容赦なく檄が飛ぶ。私なんかよりも、ずっと先輩のお上手な方にも、同じような檄が飛ぶ。。。それを聞いているだけで、自分がしかられているように、どきどきしてしまう(でも、その檄に愛があると感じてしまうから不思議)。。。

教え子にも厳しいが、自分に対しても厳しいのだろうなと思う。たとえば、先生は、私たちのお稽古の場で、本を一切見ない。もちろん、私だって頑張れば、10曲ぐらいだったら覚えられるかもしれない。でも、1時間以上もある作品、それも100曲前後のセリフと動きが全部頭に入っているのだからすごい。次から次へと新曲をだす今の歌手に、「過去の曲、すべてを振りつきのフルコーラスで歌ってください」といって歌える人がどれぐらいいるだろうか(彼らには、別の大変さがあるのだろうけど)。

ローマは一日にしてならず。芸の道も一日にしてならず。先生の謡いは、長年積み重ねた稽古の時間の深みがある。

*能を知るサイト:能楽協会
能楽師で構成されているHP。能楽の歴史、各役、演技法、装束、楽器等の解説が詳しく載っています。基礎知識を知りたい方にはお薦め。


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