和散歩

- 趣き深き会 -

第二回 「能を知る」

議事録

1.はじめに

2.議事録

3.参加者の感想

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1.はじめに

20021027日、神奈川県・川崎の角当行雄先生の御自宅にて、和散歩・趣き深き会 第2回「能を知る」を開催しました。これは、その議事録と参加者の感想です。

当日は、角当行雄先生所有の面(おもて)や装束の数々を拝見させていただいたり、謡のいくつかのパターンを聴かせていただきながら、能の世界を語っていただきました。

今回の参加者11名のほとんどが、「能については、まったく知らない」といったレベル。「重要無形文化財総合指定認定」という肩書きを持つ先生を前に、最初は緊張していた様子でしたが、気さくな先生の語り口に気分もほぐれ、最後には質問も多く出ました。

この会で一番印象的だったのは、自分達が知っている世界と能の世界にある類似点を見つけながら、新たな視点で能を考えていたことでした。こういった試みは、「日本の伝統芸能の世界に住む先生方」と「素人でも何かを考えようとする一般人」の間で活発に行なわれるべきではないでしょうか。それが日本の新たな道をにつながると和散歩は考えます。

最後になりましたが、会にご協力いただいた、角当行雄先生、直隆先生、そして参加者の皆様にお礼申し上げます。

和散歩・主宰

嘉誉

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2.議事録

書記:嘉誉(和散歩)

2.1.能は簡素美と言われるが。。。

能には幕もないし、作り物も安い竹を使っている。これをもって、「能は簡素美」と言う人がいるが、もともとは農民より低い地位の人、つまりお金のない人がやっていたので、簡素にせざるを得なかったのではないか(昔、能楽師というのは士農工商よりも下のランクの地位だった)。

2.2.能と仏教

能の基礎を作った世阿弥は、美男子であったといわれる。彼は、昔、奥さんが持てなかったお坊さんの寵愛を受けて育ったそうだ。その過程で、ずっとお経を聴いていたので、能の謡はお経に近い。能は仏教芸能とも言われる。昔は、仏の道を、謡を通して教えていた。

2.3.能の流派

能の流派は江戸時代五流に分かれた。金春流・金剛流・喜多流を下掛(しもがかり)といい、どちらかというと派手。観世・宝生を上掛(かみがかり)といい、地味。能の流派の勢力は、時の権力者の好き嫌いに左右された(例:派手好きな豊臣秀吉が天下を取っていたときは、派手な金春流が庇護され主流となった)。

2.4.曲目

「初番目物は神の能」「二番目物は修羅物」「三番目物は幽玄美溢れるもの」「四番目物は離別した我が子をたずねてさまようような狂乱物」「五番目物は鬼や天狗物」、といわれる。

二番目物で、勝ち修羅は源氏物語、負け修羅は平家物語を題材にしている。

三番目物の、幽玄とは「つかめない」とか、「女性の、恋をして、はかなくて、溶けてしまいそうな」、そんな感じ。芭蕉や藤原定家は幽玄が得意だった

2.5.

能に出てくる鬼は、大抵女の人の怒った心

鬼も色によってタイプが違う

黒:         人を食べているような怖い鬼

赤:         道成寺など

白:         上品な鬼、生霊

2.6.

能の世界では、能面を使いこなせれば、一人前といわれるほど、能面の使い方は難しい。昔の人は、自分で面を打った。面のつくりを見てみると、下唇が出ているのがわかる。これは、汗が落ちないようにする工夫。面は、現在、大体30-50万円ぐらいする。仮面劇はギリシャと日本しかないといわれる。面は、早がわりが出来るので便利。

2.7.

平拍子は七五調を8拍でやる(現在でいうと、エイトビート?)。修羅ものといわれる2番目物は2拍子(戦い物だから、2拍子のマーチ?

謡は、美文形式。どんな汚いことも、美しい言葉で表現する(例:汚い肌のことを梨の肌といったり。)

昔は謡も5000曲ほどあったといわれるが、今は、200曲ほど。

昔の謡は、今のように長くなかった。

2.8.その他の能の面白さ

能の世界では、変な人も、下々のものも、神様になったり、いい人になったりする。

能の世界をみていると、今も昔も人の感じ方は変わらないのだなというのがわかる(例:愛憎が多い)。昔と今が違うのは、昔は「死んでも名を残すという行為があった」「男の世界があった」などというところ。

能の世界では、笛の吹き方で誰が出てくるのかわかる。

色にもいろいろ決まりがある。例えば、きれいな女の人は、赤いものをよく使う。また、シテは金を使うが、ツレには金を使わない。

能は、手の美しさがとても重要。あと、足(足袋)の動きも重要といわれる。

舞台の4本の柱はそれぞれ、東西南北を表している。ストーリー上で、方角を表す時、柱と一致させればいいので便利。

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3.参加者の感想

「能」が表現しようとしている内容がわかった。 これまでは非常に近寄りがたい存在だったが、実は非常に身近なテーマを取り上げていることがわかった。 次回は実際に、今までと違った視点で「能」を鑑賞したいと考えた。(通信会社勤務・男性)

能の題材は「実は」世間話だった・・・シンプルな舞台装置は美意識によるというよりお金がなかっただけ・・・これは衝撃。

あと、能を理解するのに「能の歴史」は必要ないと思いました。能といわれて、その歴史から入ろうとするのは、結局、自分で敷居を高くしてたんですね。これからは、歴史はすっ飛ばして(笑)能で語られる物語が(言葉、身振り、衣装などで)どう表現されるのかを注目したいです。(建設会社勤務・女性)

参加してみた感想は、「能」が少し身近なものに感じられるようになったこと、そして、「能」の美しさに触れることができたこと、です。

以前から興味はあったものの、やはりどうしても敷居が高く感じられ、なかなか最初の一歩を踏み出せずにいました。しかし今回、物腰がやわらかい講師の先生のお話や、本当に初歩的なことでも気軽に質問できる雰囲気のおかげで、とても身近に感じられました。また、実際の衣装や「面」などにも触れることができ、(面を顔につけさせていただいたのは、とても貴重な経験でした!)難しいことはわからないけれど、「能」全体をつくりあげているいろいろなもの(うた、音楽、リズム、衣装、面…)に対し、素直に「美しいなぁ」と感じられたことは、大きな進歩だったように思います。

今度はやっぱり、生舞台を見てみたい!(東洋医学研究・女性)

今まで気になってはいたものの、自分で主体的にその門をくぐらなかった能の世界の入り口にたつことができて、よかったと思います。

日本の伝統文化、というものは何でも気にはなっていました。外国人と話す機会に、宗教、伝統文化について話せず、自分のアイデンティティって何だろうという思いをいつも持っていましたから。(婦人服専門店バイヤー・女性)

「能」と聞くと、敷居が高い印象がありました。それは「台詞(謡)が何言ってるのか判らない」「ストーリーが高尚でなじめそうにない」「舞台の約束事があるらしいがその知識がない」などの理由なのですが、今回のお話でずいぶん払拭できた部分があります。

解決できた部分は・・・

思ったより聞き取れるので、事前に台本(?)を読んでおけば多分全部聞き取れそう

ストーリーは割りと、色恋沙汰なども多いようで、十分理解できる。

舞台の約束事はそれほど多くない(柱が東西南北を表現しているとか)。

などです。

他にも修羅物(戦記)は2拍子=マーチのリズムになるとか、自分なりの解釈でもっと身近に「能」を感じる方法はありそうです。「能」はパソコンのOSであるって思ってるんだけ、どうでしょう?基本的なの「能」システムを理解できると演目(アプリケーション)が判るようになると。しかも、日舞などの他の分野(機種)でも基本的なOSはあんまり変わらないとか。後、一つくらい謡を覚えるとかっこいいなぁとも思いました。(グラフィックデザイナー・男性)

話はよくわからなかったけど、興味は持ちつづけながら聞けた。能そのものがおもしろいと感じられるかどうかはわからないが、触れることで日本人の心を感じることが増える気がする。そしてそれが他の時に意味を持って来るような気がした。

いろいろな専門領域を持った人がいるとそれぞれの見識からの意見が聞けておもしろい(デザイナーが色使いについてコメントするとか、他の国のものをよく知っている人がそれとの比較でコメントするとか)。(英語教育、ジャーナリスト、ビジネス教育・男性)

(中略)先生のお話自体は、非常にわかりやすく舞台の上で繰り広げられる能楽を私たちの生活のレベルに引き下げてお話いただいて、能に縁が無かった人にも垣根が取れ、また私自身も今まであたりまえと思っていたこと(日本の伝統芸能のお稽古事にはありがちな疑問はもたずにこれはこうだと有無をいわず受け入れていたこと)について敢えて考えてみるようなきっかけをいただきました。

本当は、このあと実際お能を観て、再び、今度は質疑応答中心の会が持たれるとさらに理解が深まるのではないかと思います。

また、先生が“幽玄”とは“恋”ではないかとおっしゃっていましたが、私も幽玄についてお話を伺っている間あれこれ考えてみました。今まで、頭ではなんとなく、“得体の知れないもの”、“深遠な”、“静かでこの世のものと思えない世界”などと解釈していたのですが、よく“幽玄に遊ぶ”と表されることから一種のTransなのではないかと考えてみました。“恋”だけですと、我が子を追いかけて彷徨う母親や、翁の能などは恋の類か?という疑問が湧いてしまい、恋もトランスの一種と解釈すれば常態を超えた、向こう側の世界に演者が同化することで能が完成するのではないかと思います。(もう一人の自分が舞台で演じる自分を観ているような境地になるのがBESTだと先生がおっしゃっていたのもそれにあたるような気がします。)かつて、国家の行く末を占う神事であった「舞」が五穀豊穣を願う田楽となり、申楽となって、能に消化したように、“何かに憑かれる”というのは常に芸能の発達のKey Factorであるように思われます。

最後に、マシュー(参加者の一人)版現代語訳は大変に面白かった。エイトビート!マーチ!そしてOSの上で動くWindows!のような能の例えは皆さんにとって能楽への大きく開かれた門になるのでは?(マーケティング・女性)



表紙  趣き深き会

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